岡崎とは?/ セントラルファイナンス
[ 1443] 岡崎市 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E5%B8%82
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岡崎市(おかざきし)は、愛知県の旧三河国のほぼ中央に位置する市。全国的には「八丁味噌」の産地として知られる。中核市に指定されている。 細川氏、仁木氏、鳥居氏、大久保氏、土井氏の発祥地と、徳川家康の生誕地として有名である。西三河地方を代表する都市。中心部は旧額田郡で、明治時代初期には額田県の県庁所在地であった。また、一部に旧碧海郡の地域もある。 教育施設や史跡が多く、市の規模に比して文教都市の色が濃い。また、伝統地場産業には八丁味噌、花火、石製品、額田の豆腐などがある。 岡崎市民は、「岡崎」の語を「おかざき」ではなく「おかざき」と平板に発音する(JRの駅の行き先放送では「おかざき」と発音されている。安城も同様)。岡崎が舞台となったNHK連続テレビ小説「純情きらり」の中でも、放映開始当初は「おかざき」と発音していたが、途中から「おかざき」の発音に改められた。 岡崎という地名は、全国にあって紛らわしく、特に近畿では、平安神宮のある京都市左京区岡崎を指すことが多いので注意が必要。また、神奈川県と徳島県にも、岡崎城というのがある。 愛知県の中央部、三河山地と岡崎平野の接点に位置する。市内を矢作川が南北に、乙川が東西に流れていて、合流する地点には岡崎城がある。 江戸時代に入ると、徳川家康誕生の地として別格の扱いを受けるようになった岡崎は、更に発展を遂げた。東海道沿線に岡崎宿、藤川宿の2宿が置かれ、宿場町として栄えた一方、岡崎は城下町でもあったため、防衛上の観点から「二十七曲」と呼ばれる複雑な屈折があった。また、「五万石でも岡崎様は、お城下まで舟が着く」と謡われているように、矢作川と乙川の合流地点にある岡崎は水運の要衝であった。明治になり、廃藩置県により岡崎藩が岡崎県となると、岡崎県、ついで額田県の県庁が置かれた。また、東海道本線をはじめとして次々に鉄道が開通した。郡政制度があった時期には額田郡庁が置かれるなどしたが、交通の発展に伴い徐々に名古屋の衛星都市となっていった。また、産業としては水車動力のガラ紡による繊維産業が発達した。(ガラ紡は昭和30年ごろに繊維製品の高度化により衰退)昭和期、アジア太平洋戦争では、岡崎海軍航空隊がおかれ、中心部は空襲を受けた。市内を走る路面電車の車庫が燃えてしまったため、急遽京都から車両を調達したこともあった。資材供出のために、西尾への鉄道は休止されてしまった。戦後、隣の豊田市がトヨタ自動車の地元であること、また1970年に三菱自動車工業が北野町に開発センターと工場を設置。岡崎市のモータリゼーションは特に大きかった。にも関わらず、他の大企業の工業を誘致できなかった岡崎市は、近代産業において近隣都市(とりわけ豊田市、刈谷市)に遅れをとってしまった。そこで工業化を諦め、新興住宅地を次々と造成し、ベッドタウンとしての道を歩むこととなった。 旧矢作町は碧海郡に属し、特にその西端では安城市などとのつながりが強く、住民の運動によって境界が変更された。 市内のほか、豊田市、安城市、幸田町に通じる路線や、中部国際空港への路線がある。市の中心部では豊富な便数が確保されている一方、山間部などの利用の少ない路線では、維持のため市が補助金を給付している。主な系統は以下の通りである。なお、西尾市への路線は、2006年12月16日より名鉄東部交通へ移管された。 従来、自動車のナンバープレートは、管轄する自動車検査登録事務所ごとに表示される地域名が決まり、岡崎市を含む西三河自動車検査登録事務所管内では、「三河」ナンバーが使用されていた。 国土交通省が2004年11月、新たな地域名表示ナンバープレート、いわゆるご当地ナンバーの導入についての要綱を取りまとめたことを受け、岡崎市・幸田町・額田町の3市町は、2005年2月24日〜3月6日に、「岡崎」ナンバー導入に関するアンケートを実施した。結果、賛成意見が約7割に上ったため、国土交通省に申請することになった。 同年7月29日に認可が下り、2006年10月10日より導入された。今後、岡崎市および幸田町において新規に交付されるナンバープレートには「岡崎」と記されることになる。なお、岡崎市の公用車は2カ年計画で全て「岡崎」ナンバーに変更される。 また市内には、中日新聞社をはじめ、多くの新聞・テレビ・ラジオが支社・支局を置いている(豊橋市内に支社・支局を置いていないテレビ愛知、東海ラジオ放送も支社または支局を設置している。逆に、メーテレは支社・支局を置いていない。)。 |
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