セントラルファイナンスのサイトです。
チクレ  背景  先駆  統合  以前  岡崎  同じ  電子  加盟  保障  選び  ノンバンク  社名  準備  早く  大切  比較的  マイダス  忌憚  パチンコ 

プリンセスとは?/ セントラルファイナンス

[ 807] プリンセス・プリンセス - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%82%B9

この項目では音楽バンドについて記述しています。漫画作品についてはプリンセス・プリンセス (漫画)をご覧ください。
バンドの楽曲の多くは、彼女が作曲を手がけている。「ソーロング、ドリーマー」の原曲は彼女が中学の頃に作曲したもの(「バンドガールズ」という曲名であった)で、才能が早くから芽生えていたことをうかがわせる。
2004年2月7日、一般男性と結婚。自身の公式ホームページで「突然ですが、先日結婚しました。昔から結婚しないと言ってきたのに、こうなるとは人生不思議なもんです」と報告。
プリプリの出版物の中でたびたび漫画を描いて画才ぶりを披露。またその美貌から、映画「パイパティローマ」やCMなどメディアの出演も多い。
渡辺と今野はバツイチであるが、再婚している。富田以外はみな喫煙者であった。富田の喫煙は確認されていない。奥居は妊娠を機に禁煙し、中山にも長い間禁煙していた期間がある。
マネージャーについて。プリプリのシンコーミュージック時代のマネージャーのイチヤンこと市村恵美子なる女性は、6人目のメンバーといってもよいほどの功績のある人物であるが、表に出ることは全く無く、謎の多い人物である。2007年現在は、岸谷香が現在所属しているオールスパイスカンパニーで岸谷のマネージャーを担当しており、独身である。インタビュー等の文面では「イチヤン」「市やん」「市ヤン」と書かれる。
2月にTDKレコード主催で、女性バンド結成のために行われた各楽器ごとのオーディションにより5人のメンバーが選ばれる。付けられたバンド名は「赤坂小町(あかさかこまち)」。名前の由来については、当時のTDKレコードの所在地であった赤坂にちなむ、漢字4文字でと雑誌編集者に依頼した、雑誌上での公募で付けられたなど諸説言われている。5月29日、銀座の山野ホールで初ライブを行う。
8月、シンコーミュージックで移籍のためのオーディションが行われるが、この時点では移籍には至らなかった。音楽座サイドがプリプリを手放そうとしなかったこと、オーディションを見た社員の反応があまり良くなかったので、会社としてこの移籍は良いのかと図りかねたためである。当時シンコーの一社員で後にマネージャーとなった「市ヤン」こと市村恵美子は、生ライブを見て「このバンドはいける」と思い社長の説得にあたった。
11月、事務所との意見の相違等もあり音楽座との話し合いをへて、音楽座からシンコーミュージックに移籍する。(この移籍に関する出来事については富田京子「プリンセス・プリンセスだった!」が詳しい)
4月、ファーストシングル「恋はバランス」を発売。だが、この曲の作詞はメンバーの中山が担当しているものの、作曲が鈴木キサブローであった。この曲はメンバー内ではかなり抵抗があったらしく、以後リリースされた曲はメンバー自身の作詞・作曲にこだわり続ける。
彼女たちはライブで生演奏するだけの実力も十分だった。結成からブレイクするまで紆余曲折があったが、マネージャーの市村恵美子などが彼女たちを売り込むときも「プリンセス・プリンセスはライブをみればその良さが分かります」と繰り返し叫んだというエピソードがある。
3rdシングル「MY WILL」がスポーツ用品店「ヴィクトリア」のCMソングに起用されたのがきっかけで注目を集め、フジテレビの夜のヒットスタジオDELUXEに初出演を果たす。渡辺にとっては昔から憧れていた番組で、何度出ても緊張する番組だったと言っている。初登場の時は電飾を使ったセットが用意されたが、この電飾は余計に緊張を与えたという。
同年4月、目標の一つとしていた渋谷公会堂でライブを行う。チケットは2時間で完売した。これを聞いたマネージャーの市村はメンバーより先に泣いたというエピソードがある。プリプリを売り込むのに全力を注いできた市村にとって相当感慨深いものだったのだろう。この頃よりライブはライブハウスからホールでの公演へ移行していく。
1月、女性バンドとしては初の日本武道館公演を行う(翌年より正月の公演となり96年まで恒例となった)。さらに4月リリースの7thシングル「Diamonds <ダイアモンド>」で一躍トップアーティストの仲間入りを果たした。第22回日本有線大賞を受賞するなど、この時期が彼女たちの全盛期といえる。紅白歌合戦からもDiamondsで出演のオファーが来たが、スケジュール上の都合で辞退した。彼女達の曲はメロディアスで覚えやすく、また歌詞は自分達の素直な思いが籠められており、特に女性を中心として熱狂的な支持を集めた。
このブレイクをきっかけに以前リリースされていた曲も注目された。7月、既にEP盤として発売されていた2ndシングル「世界でいちばん熱い夏」がCD化されるとたちまち人気を呼んだ。カップリング曲の「世界でいちばん熱い夏(平成レコーディング)」は、ライブで演奏していたアレンジをレコーディングしたものである。
11月にリリースされた5thアルバム「LOVERS」は彼女たちのアルバムで最も高いセールスを記録した。中山が亡き父へのメッセージとして作詞した「パパ」、ポップなナンバー「パレードしようよ」などが収録されている。(なお、「パレードしようよ」で歌詞の最後に出てくる「パレード1991」というのは、その頃には結婚できたらいいなという願望から出たフレーズ)
夜のヒットスタジオ騒動 1989年10月18日、生放送の「夜のヒットスタジオSUPER」第1回目で、新しく司会として起用された加賀まりこは、奥居に対して「ブタ」「生理中なんじゃないの」という失礼極まりない発言をした。これに対し奥居は、同日番組終了後に生放送されたTBSラジオ「ポップン・ルージュ」で加賀の言動に激怒。同年11月15日出演時はメンバーの恋人の存在が写真週刊誌に掲載された直後であったが、生放送中に司会がそのことに言及。打ち合わせにはなかったとして奥居がその夜の「ポップンルージュ」内で再び激怒。メンバー全員が「夜ヒット」への出演を拒否する事態に発展し、その後はレギュラー放送へ出演することはなかった。最終回特番でプリプリの初登場シーンのVTRが紹介されたが、古館伊知郎が「プリプリは加賀さんの突っ込みにムッときて出なくなっちゃったので貴重です」と前ふりした。レギュラー放送終了後、1993年に放送された特番では病欠中だった今野を除くメンバー4人で生出演、199*年放送の特番には「夜ヒットの思い出」として奥居がVTRでコメント出演した。
実力だけでなくルックスもプリプリの魅力であった。なお、同年後半ヴォーカルの奥居がトレードマークであったロングソバージュの髪をバッサリ切ってイメージチェンジを図るが、ファンの間からでは「なんで?」という声も聞かれた。
同年5月、今野が突発性難聴のため休養する。インタビュー等によると完全に聴力を失ったようだ。この時ライブツアー中だったため、キーボードには代行が立つ。幸いなことに早く回復し、6月には復帰した。突発性難聴は後遺症が残ったり、改善しなかったりすることがあるため、今野の休養は、病状次第では今野の離脱やメンバーの交代、最悪バンドの解散にまで至る可能性があったと言われる。
メンバー5人のバンドとしての活動を大事にしていたため、デビューから長らくソロ活動は控えていたが、4月に今野がシングル・アルバム「24Hours」でソロデビューをしたのを皮切りに、メンバーが続々とバンド活動と並行してソロ活動を開始した。
4月、プリンセス・プリンセスの解散をレコード会社関係者に伝える。実際に解散の話が持ち上がったのは94年の暮れで、新作アルバム制作の話し合いの途中でのことだった。解散の主な理由としてはアルバムの打ち合せで、「プリプリで新しいことをやっていきたい」という意見と、「これまでの間についたイメージがあるのでそれを崩さず今まで通り変わらずに行くと」いう意見が出て、平行線のままでまとまらなかったことがある。また、奥居自身が「昔は曲を書くときは天から降ってくる感じで、何も考えずにに書けたのに、時間が経つにつれて曲を書く際に考えるようになり、そのことを悩んでいた。」ことや、「友達のまま、解散したほうがいい。」とのメンバーの意向も挙げられる。解散発表直前に、富田がやっぱりプリプリは解散させちゃいけないと思い、渡辺に電話したが何度かけても留守だったというエピソードがある。
同年10月、解散宣言と共に「Fly baby Fly」をリリース。解散とラストツアーのキャッチコピーは「解散を遊ぼう」。この「解散を遊ぼう」のポスターはメンバーがロープで縛られる構図のものであったが、これが良くないとのクレームがつき、駅貼りポスターの大半が短期間で撤去されてしまった。
1月24日から始まったラストツアー「PANIC TOUR'96 解散を遊ぼう」は2度目の全県ツアーで、最後に全国のファンにお別れの挨拶に行きたいというメンバーの意向で実現したが、チケットの売れ行きを心配したスタッフから反対の声が上がったという。だがその心配は杞憂に終わり、実際は1県だけ若干売れ残った程度でほぼ完売した。
ラストツアー最後の5月31日の日本武道館ライブをもってプリンセス・プリンセスはその活動に幕を下ろした。バンド活動は13年間にわたり、観客動員数190万人を記録。オリジナルソングは120曲で21枚のシングル、15枚のアルバム(ベスト盤含む)が発表された。曲数は活動期間の割にやや少ない印象があるが、クオリティは高い。
この頃ハンマープライスで「プリンセス・プリンセスのメンバーの一人になれる権」がオークションにかけられ、最後はファン2人によるマッチレースの末、番組史上最高額での落札となった(453万円)。
現在のメンバーの活動は、渡辺は東京スクールオブミュージック専門学校の副校長、富田は、同専門学校の顧問を務めている。奥居(現:岸谷香)は歌手活動の傍ら作曲家として、中山はバンドのヴォーカルの傍ら作詞家として、他アーティストに楽曲を提供している。今野は作曲家として映画やドラマに楽曲を提供している。
このシングルのカップリング「空より海より(プリプリサンバ'91)」は、山野さと子と浜野和子の歌「プリプリサンバ」とは無関係。

 

戻る

セントラルファイナンスのサイトです。

セントラルファイナンスのサイトです。